大判例

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最高裁判所大法廷 昭和42年(オ)747号 判決 1970年6月24日

上告人

平野米男

代理人

普森友吉

被上告人

脇内泰雄

主文

原判決を破棄し、本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人普森友吉の上告理由について。

上告人の主張を要約すると、上告人は、裏書の連続した本件各約束手形の所持人であるから、真の権利者であることを証明しないでも、当然にその適法な所持人と推定され、したがつて、上告人が右手形を不正に入手したことの確証や、訴外三浦咲夫名義の裏書が偽造されたものであることの確証がないかぎり、被上告人は本件各約束手形金の支払を拒みえないにもかかわらず、原判決が、三浦咲夫名義の各裏書の記載が右名義人の意思に基づいたものであることを認めるに足りる確証がなく、右裏書は存在しなかつたものと判示して、上告人の本訴請求を棄却しているのは、法令の解釈適用を誤り、ひいては、審理不尽、理由不備の違法がある、というのである。

思うに、手形法一六条一項(同法七七条一項一号により約束手形に準用。以下同じ。)の適用を主張するには、連続した裏書の記載のある手形を所持する事実を主張することを要するとするのが当裁判所の判例(最高裁判所昭和四〇年(オ)第八二〇号同四一年三月四日第二小法廷判決、民集二〇巻三号四〇六頁)であるが、およそ手形上の権利を行使しようとする者は、その所持する手形の裏書の連続が欠けているような場合は格別、裏書が連続しているかぎり、その連続する裏書に基づき権利者となつていることを主張するのが当然であつて、この場合、立証が必ずしも容易でない実質的権利移転の事実をことさらに主張するものとは、通常考えられないところである。それゆえ、原告が、連続した裏書の記載のある手形を所持し、その手形に基づき手形金の請求をしている場合には、当然に、同法一六条一項の適用の主張があるものと解するのが相当である。そして、これにより被告がその防禦方法として同法一六条一項の推定を覆すに足りる事由を主張立証しなければならない立場におかれるとしても、原告の所持する手形に連続した裏書の記載があることは容易に知りうるところであるから、被告に格別の不意打を与え、その立場を不安定にするおそれがあるものとはいえないのである。

ところで、上告人は、第一審の口頭弁論において、請求原因として、被上告人は訴外三浦咲夫に宛てて本件各約束手形を振り出し、同訴外人はこれを上告人に白地裏書により譲渡し、上告人は現にその所持人である旨を陳述し、受取人として三浦咲夫および同人名義の白地裏書の各記載のある本件約束手形四通(甲第一号証の一ないし四)を証拠として提出し、原審においてもその主張を維持していることは、本件記録上明らかである。したがつて、上告人は、裏書の連続する本件各約束手形の所持人である旨の主張をしているものと解さなければならない。しかるに、原判決は、三浦咲夫名義の各裏書が同人以外の者によつて記名押印されたものであることが明らかであり、右各裏書の記載が右名義人の意思に基づいたものであることを認めるに足りる確証のない本訴においては、本件各約束手形に対する三浦咲夫の裏書は存在しなかつたものと認めざるを得ないと判示するにとどまり、同法一六条一項の適用について判断することなく、ただちに上告人の本訴請求を棄却しているのである。しかしながら、すでに説示したところから明らかなように、上告人は、右条項の適用により、本件各約束手形の権利者としての推定を受けるものと解すべきであつて、被上告人は、この推定を覆すためには、上告人が実質的無権利者であることを主張立証すべき立場にあるものといわなければならない(最高裁判所昭和四〇年(オ)第二九三号同四一年六月二一日第三小法廷判決、民集二〇巻五号一〇八四頁参照)。しかるに、原審認定の事実をもつては、いまだ三浦咲夫名義の各裏書が同人の意思に基づかないことまでも確定しているものとみることは困難であり、かりにこれを積極的に確定したものとするならば、原審は、右裏書が同人以外の者によつて記名押印されたものであることが明らかであり、かつ、右各裏書の記載が同人の意思に基づいたものであることの確証がないと判示するのみで、ただちに同人の意思に基づかないものであるとまでも判断したことになり、その判断の過程に経験則違反の違法があるのを免れない。したがつて、いまだ同法一六条一項の推定を覆すための抗弁事実たる上告人が実質的無権利者であることの立証があつたものということはできず、上告人の請求を排斥するに足りない。この点において、原審は、上告人の主張を正解しなかつため、前記主張に対する判断を遺脱し、ひいては審理不尽、理由不備の違法をおかしたものというべく、論旨は理由がある。したがつて、原判決を破棄し、さらに審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのを相当とする。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官松本正雄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。

裁判官松本正雄の反対意見は、次のとおりである。

一、相続、会社合併、その他特別の場合を除いて、手形所持人への手形上の権利帰属を理由づける方法としては、

(A)  手形上に連続した裏書記載が存在することと、その手形の所持を主張して手形法一六条一項(同法七七条により約束手形に準用。)の適用を求める方法(以下一、(A)という。)

(B)  裏書による権利移転を主張して手形法一四条一項(同法七七条により約束手形に準用。)の適用を求める方法(以下一、(B)という。)

とがあることは、手形金請求訴訟において従来、認められてきたところである。そして、これらはいずれも実体法を適用するための要件事実であるから、訴訟法上は「口頭弁論においてその旨の主張を要するものである。」(最高裁判所昭和四〇年(オ)第八二〇号同四一年三月四日第二小法廷判決、民集二〇巻三号四〇六頁)ことについても異論がないところである。

二、本件についてこれをみると、原審の口頭弁論において、上告人は前記一、(A)のように、手形上の連続した裏書記載の存在を主張して手形法一六条一項の適用を求めた主張は窺われず、原判決が引用する第一審判決によつても、これを認めることはできない。却つて上告人は、請求原因としては、被上告人が訴外三浦咲夫に宛て本件約束手形四通を振出し交付したことと、「訴外三浦は、期限後である昭和三八年七月頃本件手形を白地式裏書により原告に譲渡し、原告は現に本件手形を所持する」事実のみを主張していることが明らかである。また、上告人は、本件四通の約束手形を証拠(甲第一号証の一ないし四)として提出しているが、右証拠は、上告人の主張する前記事実(一、(B)の主張にあたる。)の立証のためにこれを提出した趣旨であることはいうまでもないから、これを以て当然に前記一、(A)の手形法一六条一項の権利推定の適用の主張をしているものとみることはできない。

更にまた、右について暗黙の主張があつたものとして原審において、これを採用すべき場合にもあたらない。けだし、請求を理由づける事実について暗黙の主張があつたものと解釈できるのは、当事者の明示の主張だけでは、これを理由づけることにならない場合に初めて当事者の主張の善解として、そのように解釈する余地が出てくるのであるが、前記一、(B)の主張をもつて上告人の主張を理由づけている以上、重ねて一、(A)の主張をもつて上告人の請求を理由づける必要がなく、したがつて、本件は、もともと、右暗黙の主張を問題とすべき場合にあたらないからである。

原審は、上告人(被控訴人)の主張に対して「本件四通の約束手形である甲一号証の一ないし四になされている三浦咲夫名義の各裏書記載は、いずれも右三浦咲夫がこれを記載、押印したものではなく、同人以外の者によつて記名、押印されたものであることが明らかであるのみならず、また右名下の印影も、これが三浦咲夫の印章によつたもの認めるに足る確証もない(中略)。そして上記の事実関係からみれば、他に前掲の甲一号証の一ないし四の三浦咲夫名義の各裏書記載が同名下の印影の顕出も含めて、右名義人の意思に基いたものであることを認めるに足る確証のない本訴においては、本件各約束手形に対する三浦咲夫の裏書は存在しなかつたと認めるのを相当とし」と判示して、三浦咲夫から上告人宛の裏書行為の不存在を認定することにより上告人の請求を棄却しているのであつて、右は上告人の請求を理由づける事実を三浦咲夫の裏書譲渡による実質的な権利移転行為と解した上での判示がされたもので、上告人の口頭弁論における主張に対する判断は尽されており、長年の訴訟実務の慣行からいつても、原判決の判断の過程には何等これを違法とする理由はない。

三、上告理由は、上告人が第一審および原審において手形法一六条一項の適用を主張したとして、上告人が本件「各手形を不正に入手した様な」確証や、「三浦咲夫名義の記名捺印を偽造したとかの」確証がない限りは、被上告人はこれらの手形金の支払いを拒否できないのに拘わらず、これを拒否した原判決は法令の解釈の誤り、理由不備、審理不尽の違法がある、というのであるが、前述のように上告人は右の主張を口頭弁論においてなした事実がないから(主張がなされたとするのは全くの強弁である。)、論旨はその前提を欠くものであり、採用することはできない。

四、多数意見の「原告が、連続した裏書の記載のある手形を所持し、その手形に基づき手形金の請求をしている場合には、当然に、同法一六条一項の適用の主張があるものと解するのが相当である。」との記載部分は簡に過ぎて文意甚しくあいまいであるが、手形金請求訴訟においては、連続した裏書の記載のある手形の所持人が原告として手形金の請求をしている場合には、原告が口頭弁論において明示的に手形法一六条一項の適用を主張しなくても、当然に、その主張があるものと解せられる、との趣旨のようである。そして、本件においては、上告人が本件約束手形を証拠として提出しているから上告人は、裏書の連続する本件各約束手形の所持人である旨の主張をしているものと解さなければならない。」として、原審が手形法一六条一項の適用について判断することなく、上告人の本件請求を棄却したのは判断遺脱、審理不尽、理由不備の違法をおかしたものというのである。

しかし、証拠として手形が提出されていることによつて前記一、(A)の主張がなされたものとする見解は、弁論と立証を混同する誤りをおかすものであつて、訴訟手続上の慣行に反するものである。当事者の一方から証拠として手続が提出されている事実によつて、このような主張がなされたものとの見解を裁判所が勝手に採るならば、相手方としては防禦方法をとる機会がなく、権利の保護を全うすることができないといわなければならない。けだし、次のような場合が考えられるからである。

証拠の提出は、通常、口頭弁論における当事者の主張の整理が完了してから後に行なわれる。原告がその請求を理由づける事実として、前記一、(B)の主張をなしたので、被告はこれに対応する答弁をなし、争点の整理が完了されたところ、立証段階に入つてから明示的な主張の追加がなされないのに、いつの間にか、「当然に」前記一、(A)の主張がなされていたとされ、これに対応する被告の抗弁の主張がないとの理由で被告敗訴の判決を受けるならば、被告としては事の意外に驚くほかはないであらう。被告としては、もし原告において一、(A)の主張をするのであれば、原告の悪意または重過失による取得の抗弁を主張したであらうし、また、その主張をする限りこれを立証する証拠が十分あつたというケースは多々あるからである。のみならず、たとえば、原告の提出した手形の記載上、受取人と第一裏書人の氏名の表示に若干の差異があり、被告において、裏書の形式的な連続に問題のある手形であるため、原告が一、(A)の主張を明示しなかつたものと理解して、敢てその主張に対する抗弁を提出しなかつたところ、判決においては案に相違して裏書の連続が認められ、一、(A)の主張があつたものとして取扱われ、これに対応する被告の抗弁の主張がなされていないとの理由で被告敗訴の結果となるケースも考えられる。

事いやしくも請求を理づける事実の主張に属する以上、その主張は口頭弁論において明示的になすべく、また、裁判所は陳述して然るべきであると考えられる主張があるならば、原告に対して釈明権を行使してこれを明示させるべく、被告としては、原告が明示した主張に対してのみ防禦を考えればよいのである。このことは、従来の民事訴訟手続における慣行として行なわれてきたところであり、本件原審における裁判所および両当事者も、その慣行にしたがつて訴訟を運営してきたものである。

多数意見は、上告人のいわれなき強弁を採用してこの慣行を覆がえそうとするものであつて、今後それによつて蒙る事実裁判所および訴訟当事者の迷惑は多大であらう。私としては多数意見には到底賛成することができない所以である。

五、しかも、本件各手形はいずれも期限後一年以上も経過した後に、裏書によつて、上告人が取得したものであるから、手形法一六条一項の適用があるとしても、なお、原審の結論は維持されるべきものと考える。その理由は次のとおりである。

本件においては、上告人が各手形を期限後に取得したものであることは記録に徴して極めて明らかな事実である。すなわち、期限後裏書であることは、上告人が請求原因その他において一審以来、自ら主張して争いがないばかりでなく、各手形の支払期日はいづれも昭和三七年五月であるが、上告人が各手形を取得したのは、期限後一年以上も経過した昭和三八年七月頃である。

期限後裏書によつて取得した手形の所持人でも、連続した裏書の記載があれば、手形法一六条一項の規定によつて手形上の権利者である旨の推定は受けることができるけれども、本件のような期限後裏書(支払拒絶証書作成期間経過後)の場合には指名債権譲渡の効力のみしかない(手形法二〇条一項)から、本件各手形の所持人である上告人については、その善意取得は認められない(最高裁判所昭和三五年(オ)一二九七号同三八年八月二三日第二小法廷判決、民集一七巻六号八五一頁参照)。したがつて、被上告人としては、たとえ上告人において手形法一六条一項の要件事実の主張をなしたとしても、同条項による権利帰属の推定を覆すためには、上告人がなした右期限後裏書の主張を援用した上、その不存在ないし無効を主張すれば足りるのであつて、上告人の権利取得についての悪意又は重大なる過失の存在についてまでを主張立証する必要はないのである。しかも、本件においては、既に被上告人において、訴外三浦咲夫より上告人に対する裏書は、上告人においてこれを偽造したものである旨の主張がなされている。そうであれば、原審裁判所としては、証拠調の結果、上告人主張の裏書行為について、その不存在が肯定できると判断するかぎり、判決するに熟したというべきである。しかも、原審は、前記引用の理由に基づいて訴外三浦咲夫から上告人宛の裏書行為の不存在を認定しているのであり、多数意見のように、その判断の過程に経験則違反の違法があるというのは相当でないと考える。したがつて、上告人に手形法一六条一項の適用を求める主張があつたものとしても、「同法一六条一項の推定を覆すための抗弁事実たる上告人が実質的無権利者であることの立証があつたものということはできず、上告人の請求を排斥するに足りないとする多数意見には賛成することができない。(石田和外 入江俊郎 長部謹吾 城戸芳彦 田中二郎 松田二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 村上朝一 関根小郷)

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